エッシャー展にまつわる、こぼれ話三題

12月25日まで開催しております、「だまし絵の巨匠エッシャー 不思議な版画の世界」展。版画家エッシャーの作品自体は、美術の教科書に限らず、様々な機会でご紹介されることも多く、当館以外でご覧になられている方も多いのではないかと思います。というわけで今回のブログでは、なかなか教科書や画集では教えてくれない小ネタを幾つかご紹介したいと思います。

1.
エッシャー作品の間近へ寄っていただくと、描画の精緻さに気付いていただけると思います。しかし、それ以外にも画面には色々なものが書き込まれていることに気付かれた方もいらっしゃるのではないでしょうか。

例えば、木版画やメゾチントの作品を見ていただくと、筆記体で書かれた「M.C.Escher」というサインのほかに、しばしば「eigen druk」というオランダ語が鉛筆で書かれています。さて、自分も今回の展覧会実施にあたって、オランダ語を少しかじってみましたが、残念ながら頭には残っていません。しかし、オランダ語と良く似ているドイツ語には、これとほぼ同じスペルの「Eigendruck」という言葉があることを思い出しました。

 

 

 

 

 

 

《円の極限Ⅰ》(部分) 1958年

さて、答えを述べますと「eigen druk」とは、自分の手で印刷している、という意味になります。今回の展覧会では、エッシャー自ら版木を手に持っている写真も展示していますが、木版やメゾチントに関しては、エッシャー自身が摺りの作業をおこなっています。その証左が、鉛筆で書き残されている次第です。

話は変わりますが、エッシャーのサインは若い頃から殆ど書き方が変わりません。今回の展覧会では、初期と晩年とで作風が異なりつつも、作家として一貫しているエッシャーの姿を確認できますが、こうしたサインからもエッシャーの一貫性を読み取れるかもしれません。

2.
本展の冒頭には《メタモルフォーゼⅡ》という作品を展示しています。この4m近くにも及ぶ巨大な木版作品は、3枚の長い紙を繋げた用紙に、20個もの版木を用いて制作したとのことです。 ちなみに、本作の画中に描かれているイタリアの風景は、エッシャーが撮影した写真が基になっています。

 

 

 

 

 

 

 

《メタモルフォーゼⅡ》(部分) 1940年

ちなみに元々の写真には、風景だけでなく、その風景を見下ろせるように、小高い山にたたずんでいるエッシャーの妻・イエッタが写されています。こうした写真を作品に用いたところに、エッシャーの愛情を感じ取ることが出来るかもしれません。

 

 

 

 

 

 

Micky Piller, Patrick Elliott, Frans Peterse, The Amazing World of M. C. Escher, National Galleries of Scotland, Edinburgh, 2015, p.79 (Jetta in the mountains near Atrani, Photograph M.C.Escher, photo album 4)

 

3.
《ベルベデーレ(物見の塔)》はエッシャーの代表作の一つです。「自然」に見えるように描かれているため、一見しても、その奇妙さに気付かないかもしれません。しかし良く見ると、建物の2階部分と3階部分とが、90度ずれたような不思議な角度で収まっていることが分かります。

《ベルベデーレ(物見の塔)》 1960年

「ネッカーの立方体」という錯視図形を活用して、こうした「有り得ない」作品を完成させたエッシャー。しかし、作品から醸し出される、「自然さ」は、やはりエッシャーの陰ならぬ工夫によって生み出されたものといえます。

例えば、よくよく眺めると、同じ建物にもかかわらず、2階部分と3階部分の手すりの形が違っています。 2階はアーチ状の柱廊を模したような形状となっていますが、3階ではハシゴを横に架けたような形状になっています。この違いは、本作にとって非常に重要なところです。

というのも2階と3階とで手すりのかたちが全く同じであれば、(普通、建物は2階と3階とで平行になっているはずなので、) 作品をパッと見た瞬間に、この建物がおかしな構造になっていると多くの人が気付いてしまうことになるからです。(当然、エッシャーに実際に聞いてみたわけではありませんが、、)各階の手すりの形状を変えることによって、エッシャーは人の目を「だます」ことに成功しているのです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

《滝》 1961年

こうした観点で、引き続き、無限に水が流れ続けている《滝》という作品を見てみましょう。 ここでもやはり柱のかたちに着目してもらえればと思います。滝が降り注いだ先の柱のかたちだけ、(ギリシア風の柱ではなく)単なる真っ直ぐな形になっていることに気付かれるのではないかと思います。

これも《ベルベデーレ(物見の塔)》と同様の理由によるものでしょう。もし、この柱もギリシア風に揃えてしまったならば、左側の構造物が3階建てで、右側の構造物が2階建てになっていることにすぐに気付かれ、(具体的なトリックまでは分からなくとも、)作品の面白さは弱まってしまうでしょう。

エッシャーは、一見しても気付かれないような細部にまで気配りをした表現によって、存在しないものを「自然」に見せかけ、人の目を「だます」ことに成功しています。さて、エッシャーの性格については「人間嫌い」であったと、しばしば言われるところではあります。しかし、こうした鑑賞者の目を意識した作品からは、見る者を驚かせ、喜ばせようとしたエッシャーの顔をのぞくことも出来るのではないでしょうか。

All M.C. Escher works (c) Escher Holding B.V.-Baarn-the Netherlands
作品図版は全てM. C. エッシャー作、ハウステンボス美術館蔵

だまし絵の巨匠エッシャー -不思議な版画の世界
11月11日(金)~12月25日(日)

リニューアル・オープン20周年記念「広島県立美術館ベストセレクション展」
8月31日(水)~12月18日(日)

山下 寿水 の紹介

広島県立美術館学芸員(西洋美術担当) 専門:近現代美術(絵画・写真)

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