美保の松原に行って見ました。

美保の松原へと続く、松並木の道です。

ご紹介するタイミングが前後してしまいますが美保の松原に行ってみました。

茶摘みに参加した日の午後、あまりに陽気が良かったのでつい出かけてみたのです。

*これが例の新茶葉を危篤状態に陥れた原因ですね。ご存じない方は前々回の「静岡便り」をご覧ください。

夏になると海水浴客でごった返すだろうし、梅雨の季節は富士山が見えないかもしれません。ゴールデンウイークに入ってしまえば(ちなみに行ったのは4月28日、ゴールデンウイークに入っていると言えば入っていたのかもしれませんが・・・・・)観光客で一杯になるかも!などとネガティブな材料が次々に思い浮かび、早いうちに行っておこうと思った訳です。まあ、要するに行きたかったわけですね。

いよいよ海岸へ向かいます。

前から気になっていた理由の一つが白瀧幾之助の描いた『羽衣』1913 (大正2)年という作品です。以前広島県立美術館でも開催した「日展100年 」展に出品された作品で、なんと図録の作品解説は私が担当したのでした。そのとき初めて詳しく調べたのですが、白瀧はこの作品を描くためにわざわざ現地まで取材にきています。

説明板ですね。[羽衣]についても触れられています。

そう、美保の松原と言えば「羽衣天女」伝説発祥の地とされる場所の一つ。そういえば缶詰で有名な「はごろもフーズ」という会社もこのご近所でしたが、これが名前の由来だったのか?と、今更のように思いついたりしました。この周辺では橋の標柱や看板など至る所で天女が飛び立とうとしています。圧巻は銀行の屋上から飛び立とうとする天女。巨大でもありますが、銀行というシチュエーションが何ともいえません。残念ながら、車が止められなかったので写真はありません。小林和作なら飛び降りてでも撮影しただろうにと、後になって後悔しています。

ともあれ、それくらい有名な美保の松原。白瀧は富士山をたくさん描いたことでも知られる作家ですが、美保の松原は、海を挟んで望む富士山の眺望も有名で、白瀧が興味を持ったのもうなずけます。

実は白瀧、自分の娘に美保と名付けています。たとえば富士山一つとっても、精進湖パノラマ台をはじめ、当時はその場に立つことさえ困難な場所までスケッチに出かけ、様々な角度から富士山を描いた白瀧でしたから、いわゆる風光明媚なところはいくらでも知っていたはずです。そんなことを考え合わせると、よほどこの地が気に入っていたのだろうと想像され、白瀧にそこまで思わせた風景を是非この目で見ておきたいと思った訳です。
で、印象は「すばらしい」の一言です。

やっと見えました。松原ですね。この写真を見て「なんだ傾いてるじゃないか」と思われる方も在ると思いますが、実は風景が傾いているのです。強い風で松は傾き、砂丘の砂も吹き寄せられたのでしょう。標識はまっすぐ立っていますでしょ?

海まであと少し。しかし、すごい枝振りの松ですね。

立派な松林です。

まあ、私が瀬戸内育ちと言うこともあるのでしょうが、海が全然違う。松林も風が強いせいか枝振りが全く違って何ともいえない味があります。砂の色が白くないところも、何故かいい感じに思われました。

人影はまばらですが、何となく「グランドジャッド島」を思い出してしまいました。

本当ならこの向きに富士山が見えるはずです。

よく見ると、うっすらと輪郭が・・・・。雲のいたずらでしょうか?また確認しにこなくっちゃ。

陽気が良すぎて、あいにく富士山は見えませんでしたが、白瀧が三脚を立てたのはこんな所だっただろうかとか?とか、波打ち際に初夏を楽しむ人たちを見て「グランド・ジャット島の日曜日の午後」ってこんな雰囲気だったナー(冷静に考えると海岸に人がいるということ以外共通項があまりに少ない。いったい何を感じてにてると思ったのでしょう?)とか思いながら散策すると、大変楽しい午後になりました。

さあ、急いで帰ってお茶を作らなくっちゃ・・・・・・。

 

参考ですが白瀧の「羽衣」です。何とも不思議な絵ですよね。

現在は但陽信用金庫が所蔵されていますが、一般にも公開されているようです。

「羽衣」1913(大正2)年 作

但陽信用金庫 但陽会館・新館

http://www.tanyo-shinkin.co.jp/kouken/kouken02.html

http://www.tanyo-shinkin.co.jp/gallery/pdf/gallery01.pdf

近代日本画の先駆者、生野出身の三大画伯、白滝幾之助・和田三造・青山熊治をはじめ、但陽信用金庫所蔵の作品を展示しているそうです。

 

kakuda の紹介

角田 新(かくだ あらた)日本の洋画を担当しています。

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