伊豆へ出かけてみました:その2 こんどは下田まで脚をのばしました。

みなさまはお元気にお過ごしでしょうか?

前回伊豆へ出かけてから随分経ってしまいましたが、前回探求しきれなかった川村清雄の《巨岩海浜図》に対する私の好奇心を満足させるため、またまた伊豆まで出かけてみました。

ところで今回あらためて感じたのが季節の遷ろう早さ。

前回はバイクで走っていると「フライパンの上を走っているみたい」と書いたのに、今回(9月22日のことです)は冷房の吹き出し口に向かって走っているのではないかと思うほど。すっかり秋になったなと感じます。

そんな季節の変化を肌で感じながら、前回よりもますます遠くなりますが、今回は伊豆半島の南端、下田へ向かうことにしました。

それというのも、前回のツアーでは、事前調査の不足から、観るべきものが十分には見れなかったという思いもあり、その反省から出発前、少し下調べをしてみました。中でもインターネットを検索すると驚くべき有力情報が!!

「灯台もと暗し」とでも言いましょうか。ヒットしたのは、なんと「アマリリス(静岡県立美術館ニュース)」の95号。2009年の秋に発行されたものの中に「研究ノート」として掲載された記事でした。

書いたのは当時主任学芸員だった堀切正人さん。堀切さんは私が静岡に着任するのと入れ替わりに大学へ出られたので、数度お顔を拝見しただけ。まさか何年も前からこんなことに興味を持っていらしたとは思ってもみませんでした。ちゃんと知っていればもっと詳しいお話を聞いておいたのに・・・・・。

もっとも、川村清雄の《巨岩海浜図》は静岡県立美術館の所蔵作品ですから、担当分野であれば、さまざまな角度から研究するのは当然と言えば当然でもあるのですが・・・・・。ちなみに堀切さんの担当分野は現代美術だそうで・・・・?!

堀切さんのやる気を伺わせる記事ですね。頭が下がります。と同時に私の勉強不足を痛感しました。

さて、本題です。この堀切さんの記事によると、川村清雄のご遺族に聞いた話として《巨岩海浜図》は「下田の入田浜をモデルに描いた作品である」と記されています。

川村清雄《巨岩海浜図》

アマリリスには2002年5月に撮影された現地の写真も添えられており、二つを見比べると既に答えは出ている気もします。

アマリリスに掲載された入田浜の写真です。真ん中にホテルが建ったため、やや印象が変わっているとはいえ、確かにそっくりな地形です。

 

素直な人間なら、これらの図版を見比べた段階で下田まで出かけようとは思わなくなるのかもしれませんが、私にはどうもしっくりとこない。やはり自分の目で見てみないと気が済まない。性分なのですかね。

下調べこそしたものの、前回の反省が活かされていないのが、またまた出発がお昼になってしまったこと。片道二時間ほどの距離ですから、それだけなら問題は小さいのですが、私はともかく道草が大好き。

内心、前回寄れなかった韮山(にらやま)の反射炉を見ておきたいと思いながら出かけてはいたのですが、サラッと見るつもりが解説ボランティアの人と話し込んでしまったり、そこで見かけた銅像が江口太郎左衛門だったことから、江川邸(韮山代官所跡)を見学したくなって後戻りしたり。

不思議な建物ですがガウディーの建築ではありません。これが韮山の反射炉です。良く残ったものですよね。

 

すっかり観光スポットなのですね。

 

ちょっと離れて観るとおとぎの国のようです。

 

敷地は公園化されていて手入れが行き届いています。

 

敷地は見た目よりも奥が深く、池もあって、ちょっとした森のよう。隣接するビール工場や緑茶工場の見学と合わせて、半日くらいのんびりと過ごすには最適な感じです。

 

そして反射炉。敷地の中で見ると、やはり迫力が違います。塔は4本もあったのですね。

 

現在、萩(山口県)など、あちこちの反射炉跡と手を組んで世界遺産登録の運動中です。この幟の後ろにいるのがこの反射炉を作った(作らせた)江川太郎左衛門さんの像。ちょっと恥ずかしがりやさんのようです。

で、なぜ江川邸が見たくなったかというと、水船六洲(広島ゆかりの彫刻家で版画家としても活躍しました)が文展で初めて入選したか特選をとったかの作品が江口太郎左衛門の像だったのではないかという記憶が頭をよぎったからです(後で調べてみると第4回文展で特選を受賞した作品でした)。水船が、ノイローゼになるのではないかと思うほど時代考証にこだわった、というその作品は今どこにあるのか?さっきの像は違う人の作品でした。とすると、もしかしたら江川邸で見ることができるのではないか?と思ったわけです。そもそも水船がそこまで真剣に描こうとした江川太郎左衛門とはいかなる人物なのか興味が湧くというもの。

さて、その江川邸。着いてみると、初めて見る建物なのに何処かで見たような気がします。それもそのはず。江戸時代の雰囲気を良く残しているこの建物は時代劇でもよく利用されているとのことで、篤姫のロケに使われたときの写真など、幾つものテレビや映画での利用が紹介されていました。何かの番組で見ていたのでしょうかね。

さて、話は戻りますが、ここにも水船の像はありませんでした。残念。

とはいえ徳川時代以前から存在する旧家。面白いモノには事欠きません。

たどり着きました。江川邸の正門です。立派。

 

門前の解説板です。

 

え、江川太郎左衛門って何人もいるの!? 世襲ですか・・・・・・。なるほど。

 

門を潜るとこんな感じ。立派な御庭に道場のような玄関。これはこれで圧巻ですね。

 

建物には勝手口から入るのですが裏手に回る途中にもこんな立派な井戸が。長い歴史を感じます。

 

土間に入ると炊事場?ほとんど屋根のあるキャンプ場です。

 

こちらがダイニング・キッチン?

 

歴史資料に混じってこんなものも展示されていました。

 

これはNHKの「篤姫」でロケに使われた時の写真ですね。ここでは他にも映画や民放をはじめさまざまな撮影が行われてきたのだとか。確かに時代感覚たっぷりの建物ですね。

 

特に気になったのは、土間の壁に飾られた日蓮直筆の棟札。確かに日蓮は伊豆に流されていましたよね。その日蓮をもてなした当時の当主に、改築中だったこの屋敷の守りになるからと日蓮が書き贈ったものだそうです。御利益があったのか無かったのか、ともかくもこの家は江戸時代を挟んで300年以上も栄えたわけではあります。

 

さすがにここ(土間)へ本物は展示できませんよね。お札のコピーが張ってありました。

 

日蓮の書いた棟札の解説

気になったので帰ってから調べてみました。この日蓮の棟札は江戸時代から火災除けの霊験があると有名で、木版で作った複製品が広く流通していたそうです。これも木版製の複製品。

 

そういえばここにたどり着くまでの道すがら、見かけたお寺は殆ど日蓮宗で、珍しい街だナーとは思っていたのですが、それというのも領主からして日蓮贔屓(びいき)だったのだろうと思えば納得ですね。

さて、道草にすっかり時間を費やしてしまいました。急がないと日が暮れてしまいます。 前回は通らなかった天城峠を駆け抜けます。途中、日本の滝100選にも選ばれた浄蓮の滝や湯ヶ島温泉など、よってみたい所が次々目に飛び込んできますが、今日はもう寄り道できません。日が翳りはじめたのか、山道だからか風がとても冷たい。走り続けると本当に風邪を引いてしまいそうな寒さです。そんなことにも秋を感じながら、ついに下田に到着。

が、もう夕暮れ間近。ホッとしてもいられません。

とはいえこの街は幕末、ある意味で日本開国の起点にもなった土地だけに、さまざまな見所があります。この次は下田を散策することだけを目的に出直さないといけませんね。

さて、下田の駅前を通過して10分ほどで入田浜に到着です。

入田浜です。日は翳りはじめましたがやはり夏の風景ですね。雲の拡がり方がとてもきれいです。ホームシックでしょうか?ちょっと南薫造の作品を思い出したりします(ホームシックでじゃなくワーカホリック?)。

 

急いでビューポイントを探します。作者はどこに立ったのか? 堀切さんの記事を読んだときにも思ったことですが、案外、実景とは違った風景にとして描かれたようで、今ひとつピンとくる場所がありません。というのも、風景の省略だけならともかく、仰角が一致する場所がないのです。砂浜周辺では低すぎる。俯瞰できる高さの丘は右側に入り過ぎる。まあ、もしかしたら良い場所かなと思われる崖が1カ所あるのですが、ここは私有地で立ち入り禁止。ゲートが固く閉ざされていたこともあって、今回は無理をしないことにしました。

水平方向は結構近い感じなのですが・・・・。川村の絵はもっと上から見下ろしているように見えるのですが。

右端の岬をどこまで入れるかも問題ですよね。いくら歩いても、右端にかすむ岬が視界に収まるポイントは見つかりません。

それにしても、このあたりではお盆を過ぎてもみなさん平気で泳がれるのですね。既に9月に入って久しいというのに、そして、もう日も山の端に隠れたというのに、みなさん行く夏を惜しむように水遊びを楽しんでおられました。

 

サーフィンの人が帰ってきました。いいですねー。やってみたい。

 

視角とともに、気になっていたことがもう一点ありました。それは、巨岩の問題。

川村の作品ではもっと堅い岩石として描かれているように思いますが、現実の風景はもっと柔らかそうな“丘”そのものだからです。堀切さんが「崖」と表現したこの小山。私にはその質感の違いが気になっていて、ある意味、それを確認したくて出かけたと言っても過言ではないかもしれません(ちょっと大げさですね)。

 

いやー、真ん中にガッチリとホテルが食い込んで、ちょっと印象が掴みにくいのですが、この夕方のシルエットで見ると右側の丘は巨岩に見えなくもないですね。

 

しかし、まあ、ここでよいのでしょう。

というのもこの丘、実は細石(さざれいし)と言っても良い礫岩の山なのです。 堀切さんの記事の中に江戸東京博物館に収蔵された川村の資料について触れられていますが、そこには「君が代」の歌詞を繰り返し練習したものが8点もあったと紹介されています。「さざれいしの いわおとなりて こけの むすまで」というあれですね。

この丘、近づいてみると拳くらいの礫岩がコンクリートか何かで固められたようにビッチリとくっつき、そこに木や草が生えています。

川村の作品では硬そうな岩として描かれている小山?これも岩と表現して良いかもしれませんが、ともあれ、それに当たる位置にあるものです。

木や草は生えていますが、近づいてみると、いわゆる細石(さざれいし)の塊ですね。

もっと近づいてみるとこの通り。小さな岩や石が、まるでコンクリートで繋いだように一塊になっているのです。

 

しかし歌の歌詞とは裏腹に、この巌は波に洗われ、どんどん浸食されています。

今までに見たこともない、とてもきれいな海(本当に海水が透き通っているのです)でしたが、さすがに太平洋、波は荒い。満潮になれば、じわじわと岩山の足下を削ります。

この風景を見て私は、

川村は、この細石に触発されてここを描きはじめ、浸食される姿を嫌って波に負けない硬い巌として表現したのではないか?そんな印象を受けたのです。

「徳川の世は明治という”波”ごときではびくともしない」と。

「巨岩海浜図」の裏面に張られた紙片に『額 第六九号(厚様御遺物) 巨岩、海邊ノ図 川村清雄筆』とあることから、この作品が徳川慶喜の四男・徳川厚の旧蔵品であったか、少なくとも徳川家にゆらいするものであったことは間違いないようで、そのこともまたそうした印象を強くするのです。

もちろん本当のことは解りません。

しかし、このように実際の風景に触れ、自分なりに納得できそうな答えが見つかるというのは、現地に出かける醍醐味と言えるのではないでしょうか。

今回の小旅行も、いささか駆け足ではありましたが、私としては大変満足なものになりました。

 

さて、宣伝?です。 もう少し先のことですが静岡県立美術館でも川村清雄展が開催されます。 そこでは、もっと研究が深められ、驚きの新事実が発表されるかも・・・・。今から楽しみです。

 

「維新の洋画家 川村清雄」展 会期・会場

10月8日(月・祝)~12月2日(日)江戸東京博物

http://www.edo-tokyo-museum.or.jp/

 

201329日(土)〜327日(水)静岡県立美術館

 

参考

堀切さんの記事

http://www.spmoa.shizuoka.shizuoka.jp/japanese/amaryllis/no_95/05.php

kakuda の紹介

角田 新(かくだ あらた)日本の洋画を担当しています。

コメントは受け付けていません。