広島県立美術館

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教育プログラム

アートカード


色絵馬

パウル・クレー

和高節二

靉光

芥川 永

4 伊万里 柿右衛門様式 色絵馬

≪伊万里 柿右衛門様式 色絵馬(いまり かきえもんようしき いろえうま)≫
一対 江戸時代(17世紀後半) 磁器・色絵 高さ44㎝(左)/45㎝(右)

目を見開き、鼻腔をふくらませ、耳をピンと立てて歯をかみ合わせ、胸を張り、力強く大地を踏みしめる二頭の馬。背中の装飾布には宝相(ほうそう)花(げ)唐草文様などが鮮やかな色絵で描かれ、馬の緊張し、興奮した佇まいとともに、吉祥的で祝祭的な晴れがましさが全身から発散されている。伊万里焼は1659年以降オランダの東インド会社を通じて本格的に輸出されたが、これらの馬も長らくフランス・ボルドー地方の旧家を飾っていたと伝えられる。

江戸時代初期から佐賀県有田町一帯で焼成された磁器は、多くが近接の伊万里港から出荷されたために、伊万里焼と呼ばれる。
酒井田柿右衛門家は伊万里焼を代表する陶家で、初代が17世紀中頃に色絵法に成功し、金銀焼付け法を開発するなどした。その名が冠された柿右衛門様式は17世紀後半の西欧輸出用色絵磁器の一群で、純白の白磁胎に施された典雅な色絵を特色とするが、1720年代にドイツのマイセン窯が模倣に成功後、衰滅した。

14 パウル・クレー

パウル・クレー(1879年~1940年)
≪ある音楽家のための楽譜(あるおんがくかのためのがくふ)≫
1924年 インク・水彩・紙 25.7×31.1 cm

画面を分割する線を五線譜に見立て、音符やト音記号を思わせる造形を、まるで音楽を奏でるかのようにリズミカルに配置する。象形文字のような音符の独特の造形は、アフリカの染織デザインの影響だろうか。バリエーション豊かな色調で塗り分けられた五線譜と、にじみを見せる黒い線との調和にも着目したい。詩的な響きをもつ作品名と描かれた内容を行き来しながら、楽しめる作品。

クレーは、スイスのベルン近郊で生まれる。1900年ミュンヘン美術学校入学。はじめは風刺的な銅版画やガラス絵を制作。1911年ドイツの抽象画家カンディンスキーらと知り合う。1914年マッケらとともに旅をしたチュニジアの風景が、色彩と形態に大きな影響を及ぼした。1921年よりバウハウスで、次いで31年よりデュッセルドルフの美術学校で教鞭をとる。1933年ナチス政府により迫害を受け、ベルンに移る。晩年は闘病生活のなか、制作を続けた。

31 和高節二(わだか せつじ)

和高節二 (1898・明治31年~1990・平成2年)
≪村の子供(むらのこども)≫
1933 (昭和8)年 紙本彩色・屏風(二曲一隻) 177.5×184.6㎝

右から、画家の次男、長女、長男、次女である。おそろいの長靴を履いた素朴な装いの少年少女たちは、仲良く並び立って、じっと正面を見つめている。寒さのためかそれぞれに頬が赤く染まり、その表情には穏やかな笑みが浮かぶ。その目線の先にある父・節二の絵筆をにぎる姿、愛情に満ちたその眼差しが想像される。長女のマフラー、次女の服と人形とに用いられた赤がとりわけ鮮やかで、作品に華やかさを添えている。

和高節二は、広島県高田郡向原町(現在の安芸高田市向原町)生まれ。東京の川端画学校や日本美術学院に短期間学んだほかは、一貫して郷里で創作を続けた。特定のグループに属することなく、言わば横断的に、昭和初期からさまざまな展覧会に佳作を次々と発表。1940年の紀元二千六百年奉祝展覧会では最高賞の文部大臣奨励賞を受賞して一躍脚光を浴びた。戦後も向原で創作活動を続け、広島の美術界にも大きく貢献した。

41 靉光(あいみつ)

靉光 (1907・明治40年~1946・昭和21年)
≪帽子をかむる自画像(ぼうしをかむるじがぞう)≫
1943 (昭和18)年 油彩・画布 60×50cm

がっしりとした上体に太い首。堅牢な体は、画家の痩身を模したとはいいがたい。応召までの約1年間に、靉光は著名な三点の自画像を描いた。日頃からアトリエに人を入れたがらなかった靉光だが、自画像制作の際はその傾向を一層強め、家族の留守中にひっそりと描いていたという。外界を遮断し、自己との深い対話から生まれた力強い造形と重厚な画面は、画家の凝縮した精神と制作に打ち込んだ時間を塗りこめたかのようである。

現在の山県郡北広島町に生まれる。本名、石村日郎。大正末期に上京、フランス近代絵画の影響を受けつつ独自の画風を展開した。1938年に独立美術協会賞を受賞した≪眼のある風景≫は、日本のシュルレアリスムの記念碑的作品として高く評価されている。1940年頃から中国絵画への理解に根ざした静物画を制作。1943~44年、三点の油彩の自画像を制作。画業を代表する作品群となったが1944年に応召、上海で死去した。

50 芥川 永(あくたがわ ひさし)

芥川 永(1915・大正4年~1998・平成10年)
≪雲になった蛙(くもになったかえる)≫
1975 (昭和50)年 ブロンズ 高さ39.5cm

詩的なタイトルが印象的である。上空に浮かぶ雲を思わせる造形には、よく見ると、目鼻や手(足?)のようなかたちが表され、さらにつるりとした凹部が蛙の腹に見えてくると、つい笑みがこぼれる。具象的な作品が多い芥川であるが、本作は、別の作品を破棄するときに偶然生じた破片から想を得たということ。ユニークなタイトルと、変化に富む表面の造形や質感が魅力的な作品である。

芥川永は、現在の愛媛県東予市に生まれる。1932年上京し、翌年、東京高等工芸学校(現・千葉大学工学部)彫刻部で学ぶ。1943年≪少年像≫が第8回新制作派協会展新作家賞受賞。1967年比治山女子短期大学(現・比治山大学)教授に就任。広島平和記念公園の≪教師と子どもの碑≫≪ヒロシマの碑≫≪マルセル・ジュノー博士の碑≫を制作。後進の育成にも尽力し、戦後広島の作家に影響を与えた。


広島県立美術館 Hiroshima Prefectural Art Museum
〒730-0014 広島市中区上幟町2-22  2-22 Kaminobori-cho, Naka-ku, Hiroshima 730-0014 Japan
Tel:(082)221-6246 Fax:(082)223-1444 E-mail:iroeuma2@gmail.com

開館時間

9:00-17:00(入館は閉館の30分前まで)
2016/10/31-2017/3/31までの金曜日は19:00まで開館。
2017/4/1-2017/10/22までの金曜日は20:00まで開館。

休館日

月曜日、年末年始(12/25~1/1)
※特別展会期中・祝日・振替休日を除く。

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