三次市立三良坂小学校の舞台装置の一部とシナリオを展示しています。


劇「平和を願う三良坂町の今と昔」
第二場面(抜粋)
ナレ-タ-① 三良坂正法寺に疎開した子は3年生から6年生45名で,全員,広島市の中島小学校に通う子どもたちでした。
ナレ-タ-② 1945年4月,子どもたちは家族と別れを告げ,男先生・女先生と一緒に三良坂町にやってきました。
ナレ-タ-③ 正法寺での生活は毎日時間が決められていました。食事も宿題も寝ることもすべてお寺の本堂で,みんなといっしょに生活しました。そして,正法寺から毎日三良坂小学校へ通って勉強しました。子どもたちの世話をしてくださるのは寮母さんでした。
ナレ-タ-④ 子どもたちは,はじめは修学旅行のようで楽しくてたまりませんでしたが,だんだんと日がたつにつれて家族に会いたくなってきました。
ナレ-タ-⑤ 子どもたちは「疎開児童の歌」を歌っては元気を出そうとしましたが,涙が出てきて最後まで歌えませんでした。
先生 さあ皆さん。「疎開児童の歌」を歌いましょう。
子ども (子どもみんなで歌を歌う。終わりのほうで泣き声になる。)「太郎は父のふるさとへ 花子は母のふるさとへ 里で聞いたは何の声 山の頂雲の峰 望み大きく育てよと 遠く聞こえる父の声」
先生 さあ,元気を出して朝ごはんにしましょう。
子ども全 はい。(机と食事の用意をする。)
先生 みんな用意はできましたか。
子ども全 はい。いただきます。
子ども① ええ!!これが朝ごはん?もう飽きたよ。
子ども② しょうがないよ。(いやそうに)いまは戦争中なんだから。ほしがりません。勝つまでは!!(「ほしがりません 勝つまでは」の詩を群読する。) だから,がまんしろよ。
子ども① でも,こんごう飯とみそしるとつけもののちょっとずつしかなよ。
子ども② 一口に80回ぐらいかんだら,少しは食べる時間が長くなってたくさん食べたと思うよ。
子ども① そうかねえ。(考え込むように) あれえ!?けんたくんとじろうくんがおらんよ。(みんなびっくりする。)
子ども③ 本当だあ。寮母さん,二人はどうしたんですか。(寮母さんを見て)
寮母 夜中のうちに,お父さんお母さんに会いたくなってここから逃げ出したらしいよ。今朝,先生方が気がついてすぐに広島に連絡を入れて,広島駅で別の先生が待っているから,またすぐに,男先生といっしょにかえって来るでしょう。かわいそうによっぽど会いたかったんじゃね。(心配そうに)
舞台写真1子ども全 よかったあ。
子ども④ だから昨日様子がおかしかったんじゃ。(うなずいて)
子ども③ 私らも帰りたいよ。(考えてゆっくりと)
ナレ-タ-⑥  お寺を抜け出した二人は正法寺に帰ってきたとき,先生にきつく怒られたそうです。でも子どもたちは疎開の生活をいやだといったりわがままをいったりすることなく,きびしい状況の中お互いに助け合って暮らしていました。
ナレ-タ-⑦ のみやしらみで体中がかゆくなることもよくありました。
ナレ-タ-⑧ 食べるものがあまりないので,田んぼにいるかえるを取っておやつがわりに食べたこともあるそうです。
ナレ-タ-⑨ でも,寮母さんや三良坂町の人に親切にしてもらったり,土・日の週末には,劇やのどじまん大会をして気をまぎらわせたりして,何とか疎開生活をすごしていました。
子ども全 ごちそう様でした。(みんなでかたづける。)
ナレ-タ-⑩ しかし,1945年8月6日。広島に人類で初めて原子爆弾が落とされました。中島小学校の子どもたちの家はちょうど原子爆弾が落ちた中心地だったのです。そのとき家にいた家族はみんな被爆して亡くなりました。
舞台写真2子ども④ ねえねえ。
子ども全 何々。
子ども④ 福塩線の汽車に,包帯を巻いてけがをした人がえっとのっとっちゃったよ。(福塩線のほうをしっかり見る。)
子ども③ 先生が広島に新型爆弾が落ちたいうちゃったのは本当なんじゃね。(うなずいて)
子ども② お父さんやお母さんおにいちゃんは大丈夫なんかねえ。  
子ども⑥ たくさんの人が死んだんじゃろうか。
子ども⑦ 中島町はどうなったんかね。(子どもみんな心配になって泣く。)
先生 鈴木君。お兄さんが迎えにこられましたよ。
子ども① え!!お兄ちゃんが!!
 迎えに来たよ。久しぶりじゃね。元気だったか。
子ども① お兄ちゃん。わああ・・・・お父さんは?お母さんは?真一兄ちゃんは?(泣きながら)
 それがのう・・・・・。広島は新型爆弾にやられたんじゃ。・・・・・・・。真一兄ちゃんは学徒動員でピカにやられた。おじいちゃんもおばあちゃんも・・・みんな死んだんじゃ。(くやしそうに泣く。)
子ども① お兄ちゃん。(だきついてなく。)
 二人っきりになってしまったのう。さあ帰ろう。
ナレ-タ-⑪ 親が迎えにこられるのはまだいいほうで,きょうだいやしんせきの人が迎えに来るのがほとんどでした。そして,迎えに来る人は変わり果てた姿でむかえに来たそうです。
ナレ-タ-⑫ 1945年8月15日,戦争は終わりました。一ヶ月たっても誰も迎えに来てくれない子どもは何人かいました。その子どもたちはどんな気持ちでいたことでしょう。家族もしんせきもいなくなりひとりぼっちになってしまったのですから。戦争は小さい子どもたちの人生までも変えてしまったのです。

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