備前焼

伊勢崎先生の作品
桃山(ももやま)時代の美意識(びいしき)で作られた茶道具。「わび・さび」が感じられます。
窯(かま)に松割木(まつわりき)をくべる伊勢崎先生
伊勢崎先生の作品
備前焼に古くから伝わる黒い土をぬる方法と藁(わら)をかぶぜて赤い模様(もよう)をつける方法で現代的(げんだいてき)なお皿を作っています。
伊勢崎先生
窯変耳付水指
黒長方皿
伝統工芸展(でんとうこうげいてん)・親子講演会(おやここうえんかい)
~伊勢崎(いせざき)先生に備前焼(びぜんやき)について聞いてみました~

平成17年年1月25日に備前焼の人間国宝(にんげんこくほう)・伊勢崎淳(いせざきじゅん)先生をおまねきして「土と炎(ほのお)のかがやき-備前焼-」と題してお話をしていただきました。その一部をご紹介(しょうかい)しますので,この機会に,みなさんも備前焼について勉強してください。

田土

「田土(たつち)
この粘土(ねんど)で備前焼を作ります。

Q.備前焼(びぜんやき)はどんな焼き物ですか?
岡山県(おかやまけん)備前市(びぜんし)で800年くらい昔の平安時代の終わりごろから焼かれている焼き物です。粘土(ねんど)を高い温度で長い時間焼き固めて作ります。

Q.どんな粘土(ねんど)を焼くのですか?
田んぼの底からほり出した田土(たつち)という粘土を使います。備前(びぜん)では「ひよせ」とよんでいます。鉄分や有機物(生き物の成分)をたくさんふくんでいて,見方によっては良い土とは言えないかもしれませんが,備前の人たちが,この土を生かすための焼き方を工夫して備前焼(びぜんやき)という独特(どくとく)の焼き物を作りだしました。

Q.どんな焼き方をするのですか?
窖窯(あながま)という窯(かま)に入れて,とても長い時間をかけて焼きます。今はだいたい2週間くらい焼き続けます。6~500年くらい昔の室町(むろまち)時代には1ヶ月半から2ヶ月くらいかけて焼いていたそうです。ゆっくりゆっくり温度を上げていって1200℃くらいで焼きます。松の木をもやして焼きます。松はとても温度が高くなり,全部もえて灰(はい)になって飛んでしまうのでもえかすが残りません。そういう長所があって,松が焼き物を焼くのに適(てき)しているのです。

松割木
「松の割木(わりき)
長さが5~60㎝くらいの松割木(まつわりき)。これをもやして備前焼を焼きます。

Q.窖窯(あながま)って何ですか?
(かま)は焼き物などを焼く設備(せつび)で,窯の中で焼くととても高温になって固く頑丈(がんじょう)な焼き物ができます。窖窯(あながま)は昔の窯で,山の斜面(しゃめん)にえんとつをななめにたおしたような形をしていて,このえんとつの中で焼き物を焼きます。私(わたし)は昭和36年に,備前では初めて100年ぶりに窖窯を復元(ふくげん)しました。その窖窯の幅(はば)は1m80cmくらい,長さが15mくらいです。窖窯で焼くと備前焼の特長がよく出ます。

Q.備前焼の特長ってどんなところですか?
わ薬(焼くとガラスのまくのようになる)をかけずに焼くので,備前の粘土(ねんど)の質感(しつかん)が生かされた焼き物です。色は鉄分の多い粘土なので茶色っぽい色です。そして,松の灰(はい)がくっついてゴマのような模様(もよう)を作ったり,松の炭から出るガスのせいで黒く変色したり,藁(わら)をかぶせて焼くと藁(わら)の形が赤いシルエットのように焼きついたり,焼き物を重ねて焼くとおもちのような形の焼け残りができたり,窯(かま)の中で焼いているときにいろいろな変化が表れるのですが,これらをうまく装飾(そうしょく)に利用しています。うつわの形も備前の粘土にマッチして力強くてあたたかく,独特(どくとく)の魅力(みりょく)があります。このような特長は今から5~400年くらい昔の桃山(ももやま)時代に生まれました。

穴窯内部
「窖窯(あながま)の内側」
この中で備前焼を焼きます。

Q.備前焼の歴史を教えてください。
備前市で初めて焼き物が焼かれたのは800年くらい昔の平安時代の終わりごろです。朝鮮(ちょうせん)から日本に伝えられた須恵器(すえき)という焼き物から発展しました。須恵器は初めて窯(かま)で焼かれた焼き物です。
平安時代の後の鎌倉(かまくら)時代になると備前焼(びぜんやき)の色が須恵器(すえき)のような青っぽい色から今の備前焼のような茶色っぽい色に変わります。これは酸素(さんそ)をあまり供給(きょうきゅう)しない焼き方から酸素をたくさん供給する焼き方に変わったからです。やがて,料理をしたり,食べ物や水を保存(ほぞん)するときに使う,すり鉢(ばち)・壷(つぼ)・甕(かめ)をたくさん焼き,全国でたくさん売れるようになりました。たくさん焼くためには窯(かま)も大きくしなければなりません。備前(びぜん)で残っている1番大きな窯跡(かまあと)は今から6~500年くらい昔の室町(むろまち)時代のもので幅(はば)が5m50cmくらいで長さが50mくらいあります。こんなに大きな窯なので1ヶ月半から2ヶ月間も焼き続けたのです。
5~400年くらい昔の桃山(ももやま)時代になると茶道具を作り始めます。備前の土や焼き方をうまく利用してそれまでにまったくなかった新しい形を作り上げていきます。「わび・さび」は茶道でよく言われる日本人独特(どくとく)の美意識(びいしき)ですが,備前焼は「わび・さび」という感じをよく表す焼き物です。
その次の江戸(えど)時代になると,きれいで軽い有田焼(ありたやき)や九谷焼(くたにやき)に人気をうばわれます。備前焼は人形や動物などの置物を作ったりしてがんばりますが,たくさん売れないのでだんだん窯(かま)も小さくなり,備前焼はおとろえていきます。
明治(めいじ)時代は備前焼にとって1番つらかった時代です。でも,大正(たいしょう)時代になって,金重陶陽(かねしげとうよう)さんが桃山時代の作品を参考にして新しい備前焼を作りだし,その後,金重陶陽さんのような人たちがたくさん備前で活躍(かつやく)するようになりました。

窯焚き
窖窯(あながま)に割木をくべて備前焼を焼いています。

Q.伊勢崎先生は備前焼(びぜんやき)をどんな思いで作っていますか?
昭和34年に大学を卒業して父に弟子入りし,焼き物を始めました。学生時代に彫刻(ちょうこく)を勉強していたし,八木一夫(やぎかずお)さんという人がオブジェ焼という新しい焼き物を作り始めた時代でもあり,最初はオブジェ焼(使うためのものではない焼き物)を作っていました。昭和36年には昔の窖窯(あながま)を復元(ふくげん)し,備前焼が一番かがやいていた桃山(ももやま)時代の茶道具を再現(さいげん)して作りました。その後も昔から伝えられてきた備前焼の作り方を勉強する一方で,池田満寿夫(いけだますお)さんなど色々な芸術家(げいじゅつか)や評論家(ひょうろんか)と交流し,現代(げんだい)の美術(びじゅつ)にも親しみながら焼き物を作っていきました。特に影響(えいきょう)を受けたのはスペインのホアン・ミロです。なぜ,ミロかというとミロは赤茶けた大地などスペインの風土の中で,独特(どくとく)の現代美術を生み出した芸術家だからです。私も備前でやる以上,備前の風土のなかで備前の粘土で作っていきたいという気持ちを持っています。昔から伝えられてきた伝統(でんとう)を学び,そこから新しい備前焼を作ること,新しい何かを生み出し,積み重ねていくことが本当の伝統につながるのだと考えて仕事をしています。

伊勢崎先生,どうもありがとうございました。