第52回日本伝統工芸展広島展・親子講演会

~伝統について考えてみよう!~
第52回日本伝統工芸展広島展・親子講演会
伝統(でんとう)と創造(そうぞう)
講師:徳田(とくだ)八十吉(やそきち)先生(人間国宝(にんげんこくほう)

徳田八十吉先生
 九谷焼(くたにやき)は赤・黄・緑・青・紫(むらさき)の五色であざやかにいろどられた大変美しい焼物で,石川県で江戸時代から伝えられてきた日本を代表する焼物のひとつです。徳田八十吉先生は伝統的な九谷焼の基本の上に新しい九谷焼「彩釉磁器(さいゆうじき)」をつくり出し,人間国宝に認定(にんてい)されました。広島県立美術館では第52回日本伝統工芸展の開催(かいさい)を記念して,平成18年1月29日に徳田先生の講演会(こうえんかい)を開催しました。先生のお話の一部をご紹介(しょうかい)します。


『今日は「伝統」と「創造(そうぞう)」ということについてお話します。初めに,私の考え方の基本を説明しておきたいと思います。私は世の中で永久に変わらないものは何もないと思っています。歴史の見方にしても,第二次世界大戦の前後ではまるで正反対です。例えば,戦前は天皇陛下(てんのうへいか)を中心とする歴史で,奈良の大仏は人々を救うために作られた仏様だったのに,戦後は人民から見た歴史になり,奈良の大仏は人々の重労働のうえに作られた仏様ということになりました。そして私の子ども達が中学・高校で習った歴史やごく最近の歴史の見方もまた全然ちがっています。だから,私は世の中で永久に変わらないものは何もないのだという立場で話をします。あくまで私が74年の人生で自分なりに考えてきたことと思って聞いてください。

 さて,「伝統」は「伝承」と同じ意味だと誤解(ごかい)されやすい言葉ですが,「伝統」と「伝承」はちがいます。第二次世界大戦後,文化財保護法(ぶんかざいほごほう)という法律(ほうりつ)ができて無形文化財(むけいぶんかざい)という制度ができたころ,古典(古い形や方法・昔のお手本)を受けついで守っている人たちを伝統派(でんとうは)と言いました。でも,「伝統」は古典をそのまま守ることではありません。

 例えば,おサルさんが木の上に住んでいたとします。地面におりて2本足で歩いた方が便利かとおサルさんの一匹が地面を歩き出しました。これは「創造(そうぞう)(=新しい物事を作り出すこと)」。それを見てみんなが歩きだし,歩くことが流行してひとつのやり方として伝えられていきます。歩いているうちにつかれたり,早く行きたい人は馬に乗るようになります。最初に馬に乗るのは大変勇気がいることで,馬に乗るという「創造」からそれが流行してひとつのやり方になって伝えられていきます。最初の「創造」の部分が「伝統」。そして後の部分,流行してひとつの決まったやり方として残っていくのが「伝承」。人類が「創造」と「伝承」をくり返したその積み重ねが今私たちが生きている人間社会です。

 このことを松尾芭蕉(まつおばしょう)(江戸時代に俳句(はいく)を作った人)は「万代不易(ばんだいふえき)変化流行(へんげりゅうこう)」と言っています。変わらないものがあり(=万代不易),変わらないものが変化して流行する(=変化流行)と。ロダン(約100年前のフランスの彫刻家(ちょうこくか))も「伝統とは外側の形を受けつぐことではなく,その心(=創造(そうぞう)する心)を受けつぐことである」と,「形を受けつぐこと(=伝承)」は「伝統」ではないとはっきり言っています。
色絵花鳥図手鉢 古九谷意花鳥図手鉢
 私の作品を例にとってみましょう。「色絵花鳥図手鉢(いろえかちょうずてばち)」(写真・左)は300年以上前に作られた古い九谷焼(くたにやき)で,「古九谷意花鳥図手鉢(こくたにいかちょうずてばち)」(写真・右,1963年)は私がそれをそっくりまねて作った「伝承」の作品です。このような模写(もしゃ)(=伝承)の勉強はとても大切で,良いものを後の時代に残すという意味もあるし,新しいものを生み出すためにも絶対必要です。私は現在「彩釉磁器(さいゆうじき)」の人間国宝(=重要無形文化財保持者(じゅうようむけいぶんかざいほじしゃ))で,古典そのままではなく九谷焼の技術(=作り方)をもとに新しい技術や作風(=作品の特徴(とくちょう))を切り開いたという形で人間国宝になりました。しかしその新しい技術や作風の基にあるのはこのような古典です。

石畳色絵石畳双鳳文平鉢  「色絵石畳双鳳文平鉢(いろえいしだたみそうほうもんひらばち)」(写真・左)は同じく300年以上前の古い九谷焼。「石畳(いしだたみ)」(チェック模様(もよう))は古典的なデザインのひとつですが,私はそれをもとに「石畳」(写真・右)という作品を作ってみました。古典をどうやったら自分なりにこなせるかということで,古典を変えて自分の形で表現しようとしました。私も古九谷(こくたに)の作品のように五色(九谷五彩(くたにごさい))でやろうと思ったのですが,それではとても古典に勝つことができず,結局は緑と青の二色しか使えませんでした。石畳というデザインで五色を使いこなすのは大変むずかしいということがわかりました。

 このように時代の流れの中で育(はぐく)まれてきた創造性(そうぞうせい)豊かな九谷焼伝統を勉強をすることで,「耀彩鉢(ようさいばち)黎明(れいめい)」(写真・下)のようなまったく新しい私自身の作品を作り出していきました。今年の4月から使われる中学1年の美術の教科書(文教出版)の「色との出合い」というところに私の作品が出ているのでぜひ見てください。黎明

 最後に「無形文化財(むけいぶんかざい)」とは何かということについてお話しておきたいと思います。昭和24(1949)年に法隆寺(ほうりゅうじ)金堂(こんどう)(奈良県にある約1400年前に建てられた世界で一番古い木造建築)が火事になったことから,大切な文化財(人間が文化活動によって作り出した物事)を守るために昭和25年に文化財保護法(ぶんかざいほごほう)ができました。まず「有形文化財(ゆうけいぶんかざい)」(形のある「物」としての文化財)では,広隆寺(こうりゅうじ)(京都市)の弥勒菩薩(みろくぼさつ)を初めとして建物や絵・彫刻(ちょうこく)・工芸品(工芸品は焼物・漆器(しっき)・染物(そめもの)などの美しい実用品)などいろいろな物が国宝重要文化財(じゅうようぶんかざい)として守られることになりました。次にそれまでにはなかった「無形文化財(むけいぶんかざい)」という考え方。それは歌舞伎(かぶき)や能(のう)などの芸能伝統工芸で,ほうっておくとなくなってしまうかもしれない技能
(演じたり作ったりする方法)を国が保護(ほご)することになりました。伝統工芸の場合,作られた工芸品(=物)を保存するのではなく,これを作る腕(うで)(=わざ・技能)を保存するから「無形文化財」(=形のない,「物」ではない文化財)なのです。私の祖父が受けついでいた九谷焼古典技術は昭和28年に「無形文化財」に選ばれていました。

 続いて昭和29(1954)年には法律が改正されて,「ほうっておくとなくなってしまうおそれのある技能」という枠(わく)がなくなって,「わが国にとって歴史上又は芸術上価値(かち)の高い」無形文化財はすべて保護(ほご)していこうという考え方に変わりました。無形文化財のうち特に重要で高度な技能(=わざ,腕)の持ち主が人間国宝重要無形文化財保持者)です。こうして,特定の産地に伝承してきた工芸技術や昔からの古典的で基本的な工芸技術だけでなく,古典を勉強したうえでさらにすばらしい現代の工芸品を作り出している人たちが,その創造性(=新しい物事を切り開いていく力)や芸術性(=芸術としてのすばらしさ)が評価されて人間国宝に認定(にんてい)されるようになりました。私はそのような考えで認定された人間国宝のひとりです。それまでは「彩釉磁器(さいゆうじき)」という言葉はなく,私の技術や作風(=作品の特徴)を「彩釉磁器」として独立させたのです。

 このように「伝統」とは「創造」(=新しい物事を作り出していく変化と発展)の積み重ねで,決して古典(=昔の方法や形)をそのまま受けついでいく「伝承」ではありません。そういう伝統創造のなかから日本の国として保存すべきものを保存して日本の工芸が世界に飛び出していけるようなものに育て上げていかなければならないし,私たち工芸にたずさわる者もがんばっていかなければと考えています。』

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