展覧会
展覧会Exhibition

漆芸家・六角紫水とその時代
Lacquer artist Shisui Rokkaku and his age

所蔵作品展 第4室

2010年10月19日(火) ~ 2011年1月23日(日)

六角紫水(慶応3・1867年~昭和25・1950年)と、交流があった人々や同時代の芸術家たちの作品を通して、紫水の生きた明治から昭和という時代を垣間見たいと思います。

  明治前期の日本では美術と工芸を区別せず、むしろその一体的であることが特徴と考えられていたが、西洋美学の普及とともに美術と工芸が区別されるようになり、明治40(1907)年創設の文部省美術展覧会(文展)では、工芸は美術の埒外とされ、出品することができなかった。工芸家たちは文展参加を目指して活動を展開し、昭和2(1927)年の第8回帝展〈文展の後進、大正8(1919年)~〉でようやく工芸の参加を実現させる。
 六角紫水もそうした活動を中心となって牽引した漆芸家であったが、念願かなった第8回帝展出品作ではその漆技のあまりの斬新さゆえ代作疑惑に見舞われる。紫水自身の名誉回復努力と周囲からの支援により疑惑は払拭されるのだが、その出品作に用いられていた漆技が、当時発掘された楽浪(平壌近郊)出土の漢代漆器に倣った自由奔放な“筆による描線”と“刀による彫刻線”である。
 本作はその3年後の第11回帝展に出品されたもので、紫水はこれにより工芸家として初めて帝国美術院賞を受賞した。紫水は自作解説で「我古来の漆芸に基き楽浪漆技の意を加味したる新技法に依り主として技芸の性能発揮に重点を置きたる試作品」と述べているが、獅子など主要モチーフが表情豊かな各種の彫刻線で表されており、楽浪漆技のうち“刀による彫刻線”を発展、応用したものと考えられる。洞窟に差し込む暁の光を浴びて吼號する堂々とした獅子の佇まいからは、困難を乗り越えた作者の自信とゆるがぬ信念が感じられる。
 六角紫水は広島県江田島市大柿町に生まれた。東京美術学校(現・東京藝術大学)漆芸科を第一期生として卒業。若き日は古社寺保存法による国宝指定調査に奔走して文化財保護制度の基盤整備に貢献し、以後、創作活動はもとより、漆芸に関する歴史的学術研究と科学的研究開発、時代の変遷に応じた応用範囲の拡大など多岐にわたり活躍。日本近代漆芸の先導者として重要な役割を果した。東京美術学校教授、芸術院会員などを歴任。
 今期は、六角紫水の作品を中心に、主として同時代に創作された作品を陳列することにより、紫水が生きた時代の美術界や世相に、作品を通して思いを馳せてみたい。
(主任学芸員 宮本真希子)
 

 (図版)暁天獅子吼號の図手箱(六角紫水作,昭和5・1930年制作)